熊野古道「中辺路」滝尻から熊野大社まで往く歩き旅(二日目:前編)

歩く

熊野古道「中辺路・滝尻から熊野大社」を歩く

熊野古道でも滝尻から熊野本宮大社までは、もっとも人気のある黄金ルート。
そんな中辺路を歩いた記録です。
今回は継桜王子から熊野本宮大社までの前編です。


http://www.hongu.jp/kumanokodo/


http://www2.tb-kumano.jp/kodowalk/pdf/2-p08-09.pdf

2013年11月3日(日)

日曜日のこの日は、予報では雨。
起きた午前5時の時点では、雨はまだ落ちてきていませんでした。
6時36分のバスに乗るため、熊野本宮大社まで移動。
クルマは大社の国道を挟んだ向かい側の、世界遺産熊野本宮館の駐車場に停めさせていただきました。
着替えなどをしている内に時間になり、バス停を探します。
本宮前にある筈のバス停が分からなく、一つ先のバス停で乗り込みました。
(帰りに分かりましたが、駐車場内にバス停がありました(汗))

野中の一方杉のバス停で降り、昨日の終了地点の継桜王子のとがの木茶屋へ。
その道中に雨が降り出し、合羽を着込むことになりました。
とがの木茶屋の女将さんから耳寄りな情報を教えていただき出発しました。

少し歩くと秀衡桜
奥州の藤原秀衡ゆかり(木は4代目の明治中期で樹齢約150年で樹高約15m、幹回り3.2m)の木でありますが、2011年11月に倒れてしまし、こんな姿になっています。
現在はその横で5代目が花を咲かせています。

秀衡桜

秀衡桜

町中を歩いて行きます。

いったん止んでいた雨が、またパラパラと降り出してきました。
下だけカッパを穿いて、折り畳み傘を差しました。

継桜王子から約1Kmのところにあるのが中川王子跡
道から少し山を登ると石碑があります。

中川王子跡

中川王子跡から約2Km進むと小広王子跡があります。
家の横にありますが、石碑は欠けています。

小広王子跡

道に迷いつつも、舗装路に別れを告げて進みます。
次にあるのが能瀬川王子跡
ここには、明治中頃まで集落もあったようです。

熊瀬川王子跡
熊瀬川の地名は、承元四年(1210)、修明門院の熊野参詣に随行した藤原頼資の日記の五月一日条が初見のようです。この日一行は、近露王子を出発し、熊瀬川で夕食をとり、本宮まで行っています。寛喜元年(1229)の頼資自身の参詣では、十一月五日、同じく近露を出発して、熊瀬川で昼食をし、湯川で宿泊しています。「熊背川」王子の名は、鎌倉時代末期の「熊野縁起」(仁和寺蔵)にのみみえます。熊瀬川の地名は、草鞋峠の登り口付近一帯をさしますので、王子跡はこことするのが一応妥当でしょうが、その他の文献には見えませんので、小広王子と同じとする意見や王子社の存在そのものを疑問視する意見もあります。
田辺市教育委員会

能瀬川王子跡

能瀬川王子跡から登って草鞋峠です。

草鞋峠

草鞋峠を下ってすぐのところ。
2013年当時(現在は知りません)本参道は通行止めでした。
迂回路を進みます。
当然、岩神王子跡はパスとなりました。

この迂回路が峠(岩上峠)越えで厳しい。

峠を過ぎると、森の中に入っていきます。

蛇形地蔵を過ぎると、迂回路が終わります。
湯川川。

湯川王子

湯川王子
永保元年(1081)十月。熊野に参詣した藤原為房は、「三階」(三越峠)の手前で、「内湯川」で浴びています。王子前の初見は、天仁二年(1109)に参詣した藤原宗忠の日記の十月二十五日条で、「内湯」王子に奉幣しています。建仁元年(1201)十月、後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家の日記には「湯河」王子、承元四年(1210)五月、修明門院の参詣に随行した藤原頼資の日記には「湯川王子」とあり、この頃から湯川王子の名が定着します。参詣の途上、ここで宿泊や休憩することが多く、上皇・女院の御所や貴族の宿所が設けられました。この地は、戦国時代に御坊平野を中心に紀南に勢力をふるった湯川氏の発祥の地と伝えられ、応永三十四年(1427)九月に足利義満の側室・北野殿が参詣した際には、奥の湯川を称する豪族が兵士を従えて接待しています。江戸時代には、本宮町の湯川(下湯川村)と区別するために、道湯川村と呼ばれ、王子は若一王子社と称しました。明治時代には王子神社となりましたが、末期には社を残して、約十二キロ離れた近露の金比羅神社(現、近野神社)に合祀されました。もともと山中の小村でしたが、昭和三十一年(1956)無人の地になりました。現在の王子社の建物は、昭和五十八年に再興されたものです。
田辺市教育委員会

ここは「王子跡」でなく「王子」なんですね。
昭和31年まで村があったと思えないところです。

湯川王子

湯川王子を過ぎて三越峠へ。
こんな崩落場所も。
工事中でしたが、これも2011年の豪雨時に発生した崩落でしょうか。

音無川沿いの林道を進むと湯の峰温泉方面への赤木越(熊野古道)の分岐があり、その先にある船玉神社

船玉神社

猪鼻王子
林道を降りて、また林道へ戻る。
ここもこのような猪鼻王子跡の石碑で、知っていればパスしたいくらいでした。

猪鼻王子

猪鼻王子

発心門王子へと続くこの辺りから、どこからとなく現れて歩く人達が多くなってきました。
このあと気付くのですが、発心門王子には駐車場もバス停もありました。

二日目:後編に続く

 

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