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熊野古道「中辺路」熊野大社から那智大社まで往く歩き旅(大雲取越:前編)

歩く

熊野古道「中辺路・雲取越え」を歩く

熊野古道「中辺路」の派生ルートであるいわゆる「雲取越え」(熊野本宮大社から那智大社まで)を歩いた記録です。
今回は小口から那智大社までの大雲取越え(前編)です。


http://www.hongu.jp/kumanokodo/


http://www2.tb-kumano.jp/kodowalk/pdf/oogumo.pdf

2012年11月25日(日)
寒さで目を覚ましてからは、うつらうつら状態。
この日も5時起きでした。

朝露でテントのフライシートがベタベタです。食事後に、前室でバーナーを燃焼させて乾かしてみましたが、結局は徒労に終わることになりました。なにが嫌かって、濡れたままのテントをザックに仕舞うこと。レジ袋に突っ込んで、ザックの中に入れました。
日が出るまではガスっていた空も、出発する時にはこのように青空に。
前日に頼んでいた昼用のお弁当を受け取り、いざ出発。

小口自然の家から5分ばかり歩くと、大雲取越の小口側入り口がありました。
さあ、大雲取越に突入です。

小口側入り口から30分ほど歩くとあるのが「円座石」です。大雲取越では有名どころですが、苔むし過ぎでなんだかよく分らず、通り過ぎてしまったくらいです。

円座石(わろうだいし)

大雲取越道のそばにある4つの苔むした大石。
「わろうだ」とは円形の座布団のことで、大石の上に熊野の神々が座って談笑したり、お茶を飲んだといういわれが伝わる。
大石には梵字三字が彫られており、それぞれ阿弥陀仏・薬師仏・観音仏をさす。

怖くなるくらい人に出会わない。
中辺路と言っても、小雲取越・大雲取越はあまり人気がないようです。

円座石から緩やかな登りを約40分歩くと楠ノ久保旅籠跡に着きます。こんなところに、大正時代まで旅籠集落があったなど想像できません。

楠ノ久保旅籠跡

約1.5Kmの区間に数箇所の屋敷跡が見られる。江戸時代には、十数件の旅籠があり、大変にぎわったという。北に見える小雲取の桜茶屋を指差して、あそこまで宿屋がないからここにとまるように、と客引きをしたとの話ものこる。
18世紀の参詣者の日記に、旅籠の亭主がいろいろもてなしてくれるが、野菜を植えても猿と鹿に食べられてしまうので、干ワラビ以外には菜や大根の類はない、ということなども記されている。
ここには、大正時代まで旅籠が営まれており、「豆腐あります、風呂わいてます」が宿の宣伝文句であったという。

石畳が集落だったのを偲ばせます。

さあ、ここから越前峠までが難所の登り坂です。

その一番の難所、胴切坂の看板。ここまでも相当辛かったのですが、ここからがもっと辛かった…。休み休み上がる。ソロなので気兼ねなく休めるがいいですね。
胴切とは、「この坂を上ると横腹が痛くなり切れそうだ」からきているらしい。

「この坂、早く終わってくれ~」と叫びたくなる。
こういう時はサプリメントだ、サプリメントに頼る。不思議と数時間は元気がでるんですよね。

大雲取越:後編に続く

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