熊野古道「中辺路・滝尻から熊野大社」を歩く
熊野古道でも滝尻から熊野本宮大社までは、もっとも人気のある黄金ルート。
そんな中辺路を歩いた記録です。
今回は滝尻王子から継桜王子までの前編です。
http://www.hongu.jp/kumanokodo/
http://www2.tb-kumano.jp/kodowalk/pdf/2-p04-05.pdf
2013年11月2日(土)
会社から帰り、食事してお風呂に入り3時間ほど仮眠して、日付の変わった翌日土曜日の0時に家を出発。一路、熊野本宮大社を目指します。
伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道、伊勢自動車道、紀勢自動車道、そして熊野尾鷲自動車道等を走り継いで新宮市手前にある道の駅「紀宝町ウミガメ公園」に到着。
ここまで約3時間。早く着きそうなのでここで一時間ばかり仮眠しました。
紀伊半島東側も高速道路が整備され、名古屋から尾鷲・熊野方面が本当に近くなりました。
国道168号線の道の駅「瀞峡街道熊野川」でもう一度仮眠して、6時頃に本日の歩き終点の「野中の清水」の駐車場へ到着。
この駐車場がうまく見つかるか心配していましたが、事前のGoogleストリートビューでの予習が役に立ちました。
ここから歩いて国道311号線のバス停まで歩きます。
バス停まで20分ばかり、7時の滝尻方面のバスに乗り込みます。
約30分で本日の出発地点である滝尻に到着。
滝尻王子、中辺路の起点となります。
滝尻王子(たきじりおうじ)は和歌山県田辺市にある神社。現在の宗教法人としての名称は滝尻王子宮十郷神社(たきじりおうじぐうとうごうじんじゃ)。前身は九十九王子の滝尻王子で、五体王子の一つに数えられた(『熊野権現蔵王宝殿造功日記』)。
国の史跡「熊野参詣道」(2000年〈平成12年〉11月2日指定)の一部である。
歩き始めで、しかもいきなりの登りで汗がタラタラです。
神社あたりは人がいましたが、この辺りの坂道まで来ると周りには誰もいなくなりました。
坂道を500メートルほど登ったところに不寝王子跡がありました。
王子を巡りながらの歩行となりますが、王子とは皇族が歩いた時のための休憩所跡ということです。
不寝王子から1時間ちょっと歩く飯盛山の展望台がありました。
飯盛山からの眺め。
高原熊野神社近くに到着。
春日造り社殿は室町時代の様式を伝え、熊野街道では最も古い神社建造物とのこと。
この辺りにくると、また人が現れました。
要所要所だけ廻られている方も多いようです。
高原霧の里休憩所。サイクリストの姿も。
ここには団体さんがいっぱいでした。
高原霧の里休憩所からの眺め。
旧旅籠通り辺り。
現在も住まわれている家が数件、長閑な佇まいでした。
そのまま歩いていくと廃屋などが現れ、こんな看板が出現します。
「えっ、あと4時間も…」
比較的平坦で歩きやすい道が続きました。
高原池。
高原熊野神社から約1.8Kmのところにあるのが大門王子。
往時は宿もあったりして賑わっていたんでしょうか、今は寂しいところです。
大門王子跡
この王子は、中世の記録には登場しません。王子の名の由来は、この付近に熊野本宮の大鳥居があったことによるものと考えられます。鳥居の付近に王子社が祀られ、それにちなんで大門王子と呼ばれたのでしょう。天仁二年(1109)に熊野に参詣した藤原忠宗は、この付近の水飲の仮屋に宿泊しており、建仁元年(1201)に参詣した藤原定家も、この付近の山中で宿泊しています。江戸時代になって、享保七年(1772)の「熊野道中記」に、「社なし」としてこの王子の名が見え、紀州藩は享保八年(1723)に緑泥片岩の石碑を建てました。この王子碑と並んで、鎌倉時代後期のものとされる石造の笠塔婆の塔身が立っています。以前は松の大木がありましたが枯れてしまい、その後朱塗の社殿が建てられて、この王子跡付近の様相は一変しました。
田辺市教育委員会
大門王子と十丈王子の中間地点辺り。人気のない、やっと見つけた休憩所で昼食です。朝からパワーバーのGELのみだったので、腹ペコでした。こんなものでしたが、とても美味しかったです。
一日目:後編に続く
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