熊野古道「中辺路・滝尻から熊野大社」を歩く
熊野古道でも滝尻から熊野本宮大社までは、もっとも人気のある黄金ルート。
そんな中辺路を歩いた記録です。
今回は継桜王子から熊野本宮大社までの後編です。
http://www.hongu.jp/kumanokodo/
http://www2.tb-kumano.jp/kodowalk/pdf/2-p10-11.pdf
猪鼻王子から発心門王子の道のり。
発心門王子手前で、一人歩きの欧米系のおねーさんに抜かれる。
「コニチハ」、「こんにちは」。
何だかウキウキする。
発心門王子に到着しましたが、人も多くそのまま歩き出します。
おねーさんはベンチに座り、昼食のようでした。
発心門王子跡
熊野川の中州に鎮座する熊野本宮まで約7kmの所にあるこの王子の名は、発心門すなわち「悟りの心を開く入り口」とされる大鳥居があったことに由来する。
天仁二年(1109)に参詣した貴族・藤原宗忠(1062~1141)は、まず門前で祓いをし、発心門は大鳥居であり、参詣の人々は必ず大鳥居をくぐること、また、はるかに見遣ると恐れを感じることを日記に書き残している。
また、建仁元年(1201)に和歌の講師として後鳥羽上皇の熊野御幸に供奉した貴族・藤原定家(1162~1241)は、王子社の背後にあった南無房という尼の居宅を宿舎とし、門柱に感動と祈願を込めた漢詩と和歌を書き付けている。
熊野九十九王子の名称は地名や地形に基づくものが多いが、発心門王子の場合は信仰に関連する命名の代表であり、この王子が果たした役割の大きさを表している。和歌山県
62番目の道標の辺りにキレイな休憩所とトイレがあったので昼食にしました。
朝から固形物を食べていなかったので、もう腹ペコでした。
お湯を入れてから15分も待たないと食べられない“ちらし寿司”を待つ間、紅茶を飲んで気を沈めます。
ここの休憩所の話好きなおばさんから、あと2時間だよと教えて貰いました。
よ~し、出発だぁ。
水呑王子。
水呑王子跡
貴族・藤原宗忠(1062~1141)の天仁二年(1109)の参詣日記には「内水飲王子」、「新王子」とある。
この「内水飲」とは、二日前に宿泊した「水飲仮屋」に対して、発心門の内すなわち本宮寄りにあることを意味している。また、「新王子」とは文字通り新たに設けられた王子の意味であるが、これはほとんどの王子社が依然から祀られていたことを証している。
「水呑王子」と刻んだ石碑は、他の王子跡のものと同じく享保八年(1723)に紀州藩が熊野御幸の史蹟顕彰のために建てたもので、紀北産の緑泥片岩製である。和歌山県
水呑王子を過ぎたあたり。
歩いている人がかなり多くなってきました。
脚も疲れ気味…。
このあたりは道もよく、また、お店もあってなんとか頑張れました。
伏拝王子。
伏拝王子跡
京都を出発した熊野参詣の人々は、およそ260km、歩行12日前後でこのあたりにたどり着いた。そして、熊野三山巡拝の最初の目的地である本宮が、遥か彼方の熊野川の中州に鎮座する光景を目の辺りにして、感動のあまり「伏して拝んだ」という。
また、この王子には、熊野本宮を目前にしてにわかに月の障りとなり、参拝を断念しようとした女流歌人・和泉式部を、熊野権現が快く受け容れたという伝説もある。
境内には和泉式部の供養塔と、一定の距離を示すために13世紀に建てられた笠塔婆がある。和歌山県
伏拝王子からは下り基調の石畳の道。
かなり脚に堪えますが、もうあと少しです。
祓殿王子。
祓殿王子跡
前世と現世に心身に積もった穢れを祓い清め、日本第一の霊験をもって知られる熊野三所権現の神威にすがって、祈願し、生命力を蘇らせることを目的とする熊野参詣では、禊ぎや祓いが重視された。
中でもこの王子での祓いは、熊野本宮参詣の前に行うもので、これまでの道中での祓いにも増して重要であった。
天仁二年(1109)に貴族・藤原宗忠(1062~1141)は、水呑王子に参拝したのち野路をたどり、祓いを済ませてから本宮の宿所に入って翌日の参拝に備えた。
また、およそ百年後の建仁元年(1201)に、和歌の講師として熊野御幸に供奉した貴族・藤原定家(1162~1241)は、この王子近くの地蔵堂で後鳥羽上皇の一行を待ち、本宮の神前に向かった。和歌山県
そして、祓殿王子の目と鼻の先には本宮大社。
熊野本宮大社裏に到着です。
参拝してから、大斎原へ。
満車状態の駐車場へ戻り、着替えてからまた昨夜のこのお店へ。
三軒茶屋さん。
昨夜、お土産用のめはり寿司二人前(12個)を注文していたんです。
待っている間にめはり寿司。
その後、那智駅に隣接する道の駅「なち」までひとっ走り。
ここのお風呂が良いんです。
コーヒー牛乳飲んで帰路につきました。
道の駅「なち」を出たのが17時半。
途中、伊勢自動車道に渋滞などありましたが、無事帰宅。
家に着いたのが22時半でした。
今回の旅の寝床。
助手席側をフラットにして仮眠、就寝しました。
帰りのクルマの中は汗だらけの服で臭いました。
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