私的評価
坪井平次著『戦艦大和の最後 一高角砲員の苛酷なる原体験』を読みました。
図書館で借りました。
サブタイトルにある「高角砲員の苛酷なる原体験」に興味をそそられ読んでみました。そこにはシールドに覆われた高角砲の内部での戦闘の様子が、詳細に書かれていました。雷撃、爆撃にあった艦船の惨状は、目を覆いたくなるものでした。
★★★☆☆
『戦艦大和の最後 一高角砲員の苛酷なる原体験』とは
内容説明
日本海軍が技術を結集し、膨大な建造費をついやしながら、その巨体と強力なる武器を有効につかう機会をもたず、海底に消えた“遅れてきたヒーロー”戦艦「大和」―世界最大最強の巨艦の五番高角砲員として、マリアナ沖、レイテ沖海戦、最後の沖縄特攻出撃に赴いた苛酷なる原体験を書き綴った迫真の海戦記。目次
第1章 教師として
第2章 大竹海兵団の生活
第3章 「大和」乗り組み
第4章 マリアナ沖海戦
第5章 レイテ沖海戦
第6章 沖縄特攻
第7章 戦艦「大和」死す著者等紹介
坪井/平次[ツボイ ヘイジ]
大正11年11月、三重県熊野市に生まれる。昭和17年3月、三重県師範学校本科第一部卒業後、郷里の日進国民学校訓導となる。昭和18年4月、徴兵により海軍軍籍に入り、大竹海兵団入団。同年7月卒団、戦艦「大和」に乗り組み、五番高角砲員となる。以後信管手として、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦と転戦し、沖縄特攻では、「大和」の沈没後、漂流したが救助される。終戦時、海軍上等兵曹。戦後は、三重県の小中学校の教諭、教頭、校長をつとめる。昭和55年停年退職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)。(「BOOK」データベースより)
感想・その他
著者が配置された高角砲というのは、正式には「四十口径八九式十二糎七高角砲」と言うそうで、信管手を含めて砲塔内には12人が配置されていました。下記画像がその高角砲ですが、この中に12人が入っている訳で、かなり大きそうです。正式採用は1932年(昭和7年)2月で、通称12.7センチ高角砲です。信管手のほか、射手1名、旋回手1名、伝令1名、砲員は1砲に4名づつで、2連装で8名、合計で12名です。
著者は、大和右舷の5番高角砲での信管手でした。砲弾頭に取り付けられた信管に、爆発させるための時間をセットする役目でした。敵機の距離に合わせて時間をセットしていたようですが、高速で移動する飛行機に効果がはあったのか甚だ疑問です。実際、この海戦で撃ち落とした敵機は10機ほどと言われています。約二時間の奮闘があまりにも報われない撃墜数です。
大和最後の戦いである坊ノ岬沖海戦で、たまたま直撃弾が当たらず、戦闘では5番高角砲内の全員が助かったにも関わらず、大和沈没後に助かったのは著者だけでした。
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