私的評価
齋藤寛著『鉄の棺 最後の日本潜水艦』を図書館で借りて読みました。「比島東方沖の深度百メートルで体験した五十時間におよぶ米駆逐艦との想像を絶する死闘」という内容説明に惹かれ、読み始めました。
著者は海軍中尉であり、伊五十六潜に軍医長として乗艦していました。1944年6月から12月までの約半年間という短い潜水艦勤務の中で、レイテ沖海戦から回天特別攻撃隊(金剛隊)としてアドミラルティ諸島の米艦隊攻撃までを経験します。どちらの作戦でも敵駆逐艦に執拗に追撃され、爆雷攻撃を受けながら長時間潜航する恐怖が続きました。その筆者が、自身の目で見て感じた体験が淡々と綴られています。
潜水艦は他の大型戦闘艦と異なり、「一艦一家」のように乗組員同士に強い一体感が生まれるといいます。しかし、配置転換によってその一体感は脆くも崩れてしまったそうです。著者自身も、半年という短期間で「鉄の棺」から解放され、大尉に昇進して陸上勤務に就くこととなります。そのため戦後、この本を書くことができました(伊五十六潜は1945年4月、沖縄方面で敵駆逐艦による爆雷攻撃により沈没しています)。
少し期待し過ぎたところがあり評価は3点ですが、当時の潜水艦勤務の実態がかなり分かり興味深いです。
★★★☆☆
『鉄の棺 最後の日本潜水艦』とは
齋藤寛著、1954年4月に三栄出版社から発刊されたのが最初のようです。私が読んだのは2004年10月に発刊された光人社のものです。最新版は2023年2月に同じく光人社から新装解説版が発刊されています。内容説明
大戦末期の日本潜水艦の非情なる戦い。伊五十六潜に赴任した若き軍医中尉が、比島東方沖の深度百メートルで体験した五十時間におよんだ米駆逐艦との想像を絶する死闘―最高室温五十度に達する閉ざされた地獄の艦内で、搭乗員たちは黙々と耐え、その職責を真摯に全うする。汗と涙の滴りを見つめる感動の海戦記。
目次
前編(伊号第五十六潜水艦;艦内生活第一日;襲撃訓練;軍港の表情;出撃に備えて ほか)
後編(表彰状;渠底;人間魚雷;猜疑;決意 ほか)
著者等紹介
齋藤寛[サイトウカン]
大正5年10月、東京小石川に生まれる。九段中卒。昭和18年、慶応大学医学部卒。23年、厚生技官。33年、医療法人財団海上ビル診療所所長に就任。42年、(財)労働医学研究会、八重洲口診療所所長、ついで理事となる。富士銀行嘱託、丸山製作所、池袋病院、前沢化成工業、日鉄商事の各顧問ほかを務める。昭和59年4月、歿(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
紀伊國屋書店
感想・その他
この本の潜水艦は伊号第五十六潜水艦(伊56)で、伊五十四型潜水艦です。紛らわしいですが伊54、伊56、伊58の三隻が伊五十四型潜水艦となります。戦時下の急造艦で、エンジンもモーターも出力が低下したものが使われていたそうです。伊五十四型潜水艦(いごじゅうよんがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。乙型潜水艦の最後の型で巡潜乙型改2(じゅんせんおつがたかい2)とも呼ばれる。全部で3隻が建造され、1944年に竣工し、「伊58」を除いた2隻は太平洋戦争で戦没した。主として回天特別攻撃に従事した。最大の戦果は「伊58」による米重巡洋艦「インディアナポリス」の撃沈である。
Wkipedia(伊五十四型潜水艦)
第二次世界大戦当時、潜水艦の主任務は敵国の海上交通路を遮断し、輸送船を攻撃する通商破壊戦であったと言われています。しかし、日本海軍の潜水艦運用は、艦隊決戦に先立って敵戦闘艦を削減することを重視していたようです。本書を読むと、そのような意識が強く反映されていることがよく分かります。本の中では、「ちぇ、輸送船かよ」といった不満の言葉も見られ、敵の大型戦闘艦への雷撃を何よりの喜びとしている様子が伝わってきます。
ただし、敵艦隊に雷撃を加えた後は、駆逐艦による激しい追撃が待っています。このような描写を通じて、日本の潜水艦が「鉄の棺」と呼ばれる理由が痛感されます。
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