
私的評価
藤原てい著『新版 流れる星は生きている』を図書館で借りて読みました。この本を知ったのは、とある新聞の日曜日に掲載される三冊の本を紹介する記事です。この本を読んでみたいと思ったのは、著者の夫があの新田次郎だったからです。実際には、新田次郎が作家になる前にこの本が出版され、大ベストセラーとなりました。新田次郎はそれに触発され作家になったようです。
「私が死んでしまったらこの子たちの未来はない」
6才と3才、そして乳飲み子という三人の子を抱えた女性の満州からの引き揚げ体験記です。想像を絶するほどの困難を乗り越えて、一年後に肉親の待つ故郷に帰ります。夫が収容所に連れられてから、だんだんと強く図太くなっていく著者が、とても逞しく思えました。女性は強いです。
極限状態に陥った人間たちの攻撃的とも言えるエゴ、また時には助け合いしたり。そんな人間たちがありありと描かれています。この本の迫力に引き込まれ、一気読みすること間違いありません。
★★★★★
『新版 流れる星は生きている』とは
内容説明
一九四五年、終戦。そのときを満州(現中国東北部)でむかえた著者は、三人の子をかかえ、日本までのはるかな道のりを歩みだす。かつて百万人が体験した満州引き揚げをひとりの女性の目からえがいた戦後の大ベストセラー。新装版にて待望の復刊!中学以上向き。
目次
涙の丘(駅までの四キロ;わかれ ほか)
教会のある町(丘の下へ;墓場からきた男 ほか)
三十八度線をめざして(親書の秘密;赤土のどろの中をもがく ほか)
魔王の声(うらみをこめた小石;議政府に到着 ほか)
紀伊國屋書店
感想・その他
この本を読んでいて不思議に思ってたことです。どうして終戦前の満州国からの脱出で、汽車は釜山に向かわず宣川(現在の北朝鮮)に行ってしまったのか。朝鮮半島はまだ日本統治下だったはずで、本来なら釜山まで行けたはずです。その理由は最後の解説で分かりました。終戦間際の日本は大混乱しているとの情報があり、それならば日本から少し離れた宣川で様子を見ようとなったようです。しかし、それが苦難の逃避行の原因となってしまいました。宣川で数日を過ごすうちに、朝鮮半島はソ連占領の38度線以北とアメリカ占領の38度線以南に分断されてしまいます。これで北から南への移動は事実上難しくなった訳です。しかし、ソ連も在留日本人の扱いに困っていたようで、38度線の通過は黙認していたようです。
著者の家族は、公務員(?)としてソ連参戦と同時に満州からの脱出を指示されています。一般の開拓団や、ソ連との国境に近い人達はかなり逃げ遅れ、それはそれでとても悲惨なことになっています。また、お金があれば逃げる時に牛車に乗れたり、食べ物を買えたり。そんなことを読んだりすると、やはりお金持ちや上級国民は得をして、生き残れたりするんですよ。世の中、不公平です。
この本の題名にもなった「流れる星は生きている」は、宣川(北朝鮮)にいる時に保安隊(ソ連軍占領北朝鮮の警察の礎)の金さんが歌っているのを聞いて覚えた歌から付けたようです。この歌は、金さんの日本人の戦友たちが作詞・作曲して、戦地で歌っていたとのこと。その時は、歌には題名などなかったのではないでしょうか。
わたしの胸に咲いている
あなたのうえたバラの花
ごらんなさいね 今晩も
ひとりで待ってるこの窓の
星にうつって咲いている
わたしの胸に泣いている
あなたのよんだあのお声
ごらんなさいね 今晩も
ふたりでちかったあの丘に
星はやさしくうたってる
わたしの胸に生きている
あなたのいった北の空
ごらんなさいね 今晩も
泣いて送ったあの空に
流れる星は生きている
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